津軽三味線の現在と未来

“津軽三味線”の成り立ち

 古典音楽(邦楽)の世界には雅楽、能楽、浄瑠璃、詩吟、琴曲、長唄、小唄等、枚挙にいとまがないほど多くのジャンルが存在します。

 三味線のジャンル一つ取り上げても多岐に及び、ここで説明するにはスペースが足りないほどです。

 簡単に言ってしまえば民謡というジャンルの中に津軽民謡があり、その伴奏を務めるのが津軽三味線ということになります。

 津軽三味線は主に太棹と呼ばれますので、津軽三味線=太棹は正しいのです。
しかし、太棹の三味線を使用するジャンルは津軽三味線以外にも存在するため、太棹=津軽三味線というのは誤った見解ということになります。

 津軽の民謡を伴奏する三味線のことを津軽三味線と読んでいるのです。

この津軽三味線も民謡とは隔離された状態でマスコミに度々取り上げられ、今や一つのジャンルとして確立されつつあります。

 最近では日本のポピュラーな音楽との混同を避けるため津軽三味線を含めた古典音楽全般を「純邦楽」と呼んでいます。

本場青森での私の体験 今と昔

修業当時のライブハウス山唄。懐かしい~

それでは津軽三味線の本場青森県とはどんなところなのでしょうか?

私が本場津軽で修業を積み、経験していることだから言えることですが本場津軽に行けば本物の三味線を習得する一番の近道かといわれると案外そうでもないのです。

 本場津軽ではどこに行っても三味線が流れそこら中に先生や演奏家がいると思ってしまいがちですが全くそんなことはなく、民衆の芸と思い込んでいたと私は当時相当のカルチャーショックを受けたものです。

 函館や青森から一部の優れた演奏家や歌手が地元では食べていけず東京に移り住み活躍の場を広げられた方達が殆どです。

そんな中、断固として地元に拘り腰を据えて芸を研鑽していかれたのが今は亡き私の師匠、山田千里先生でした。

先生の持論は、
“岩木山の見える場所で津軽のかまりこ(匂い)を吸って津軽弁を話さなければ上達しない”
が口癖でした。

先生はその当時は弘前市で唯一無二の民謡酒場を経営されていたので、その場所こそが私ども弟子の勉強の場でした。

手とり足取り教わったことなどただの一度も無く、津軽三味線というのがどんなものなのかも分からない私は入門した次の日には舞台に立たされたのを今でも鮮明に覚えています。
当時18歳。断るわけにはいきませんでした。

なぜなら先輩から
“ある日突然先生から(舞台の)声がかかったら迷わず立つように”
と忠告されていたからです。

拒否をしようものなら当分立たせてもらえないという話を事前に聞いていたものですから覚悟は出来ていました。

しかしながらそのある日突然というのが早々にやってきたのです。

しかも入門一日目です。
曲をどう始めてどう終わるかも分からないレベルの私を日本全国からお金を払ってわざわざ本場の三味線を聞きに来ているお客さんの前に立たせるなんて、当時18歳の私にとってはあまりに酷なことでした。

頭の中はまっ白状態、何を演奏したのか全く記憶になく、失神寸前だったのははっきりとおぼえています。泳ぎ方も知らないのに池に落とされたわけです。

おそらく、先生は“実戦に勝る稽古なし”ということを植えつけたかったのでしょう。次の日はすぐにやってきます。一日に3、4ステージはあったのですが、毎日恥をかくのは自分です。

入門後の1,2ヶ月はまともに寝た記憶もありません。
先生も先輩も何も教えてくれません。

本当に孤独との戦いです。
最初の一ヶ月間は半年ほどに感じられたものでした。

写真右:修業真っ盛り、二十歳の自分。若い!
(左は山田師匠です)


でも気がつけばお酒を運んだり、お皿を洗いながらでも、先生の曲のフレーズや太鼓、唄に至るまで見ていなくてもするすると頭に入っていくようになっていたのです。

環境とはそういうもので、今現在そのような環境を見つけられるのは難しいかもしれませんが昔の先人達の時代には録音機械などなかったにも関わらず名人という方達が存在しました。

現在ではレコーダーはさることながらYoutubeやDVD・BDなどいたるところに独学しようと思えば出来る環境が整っています。

そういった背景からも独学しようと思えば独学できるのですが、
やはり回り道しないためにも基礎だけは習われたほうがよろしいかと思われます。

現在の業界について

民謡界と津軽三味線の世界は共存してこそ成り立つのが本来あるべき姿なのですが、近年では津軽三味線の方が突出してる傾向にあり、民謡をよそに演奏している方や指導者も大勢見えます。

一見華やかな世界に見えますが、その反面、堅苦しいイメージも兼ね備えている背景がやはりいつの時代もついて回ります。

津軽三味線の世界も民謡界も、日本全国大小様々な流派が存在していますが津軽三味線の世界で云うなれば、即興(アドリブ演奏)を基本とする音楽の特性上、芸の同一性を求める必要が希薄なことから扱いは他の純邦楽のジャンルと比べると非常に軽く、何十何百万人単位の会員数を誇る茶道・華道の世界とは比較にならない規模です。

人口が少ない割に先生が多いのもこの業界の特徴です。
これはまだ歴史が比較的浅く、業界を統一する組織がないこと、プロ・アマの線引きがあいまいで、自由度が高いことからと考えられています。

つまり、そこそこ演奏出来る人が”明日から自分が先生だ、明日からプロ奏者だ”と言ってしまえばそれがまかり通る、いわば無法地帯となっているのが実態で、自己責任において自由な活動の出来る業界であると言えます。

一昔前は津軽三味線の教室を見つけるのはなかなか困難なものがありましたが今では日本全国あちこちに点在しているのもこのような背景があってこそなのです。

しかしながら、それゆえに勘違いして勝手に偉くなってしまっている演奏者や先生が少なからずみえるのも事実で、自由度が高くガイドラインがあるわけでもないので、指導法や決まり事などは指導者の価値観、宗教観によって千差万別であるといえます。

弟子が師匠のカバンを持つという時代は一昔前の話となってしまいました。
また月謝等を生徒さんから頂いているのに、先生が生徒さんのことを弟子呼ばわりすることに妙な感覚を覚える人も多いようです。

単なる趣味の習い事の範疇で「自分のところに生徒が習いに来た=師弟関係が結ばれた」と早合点してしまう指導者も中にはみえます。

師匠と云われる人に弟子入りするという事は生きるための手段、技術を授かりたいというニュアンスが強く、趣味でなんとなく始めるという場合とでは勝手が違うので、生徒になる人は指導者の人間性、会の環境、雰囲気も十分に観察する必要があります。

入会が1日遅いだけで上下関係が発生してしまったり、年下から偉そうにされたりしてこんな筈ではなかったとなってしまっては本末転倒です。

それでは、我々の業界の何をもってしてプロと言うのでしょうか?

プロっぽい~?

プロボクサー、プロ野球選手などスポーツの世界におけるプロは協定などがあり明確な位置づけがなされていますが、こと芸術に至っては境界線というものが極めて曖昧です。

肩書きの一番下の文字が「士」の付く職業であれば社会通念上、国家資格等に合格された方々がされているのは何となく理解も出来ますし納得も出来るのですが◯◯評論家、プロ書道家、プロ陶芸家、プロ演奏家等々「家」の付く職業はいったいどうしたらなれるのでしょうか?
評論家を決める専門家が他にいるのでしょうか?その専門家を専門家と認めた方はどなたでしょうか?

う~ん訳が解らなくなってきましたね。

私も教えて欲しいくらいです(笑)

音楽の世界で言えば人それぞれ見解の違いはあるものの、どの分野もそれ相応に厳しく、津軽三味線の業界に於いてもそれは同じで、演奏だけで食べていける人は本当に数える程度しかいません。

音楽家の中でよく耳にするのが3F(スリーエフ)「不規則、不安定、不摂生」の意味ですが(不摂生だけは何とかなるのでは?) これをいかに克服していくかにかかっています。若いうちだけならまだしもずっと生活をしていかねばならない訳ですからそれ相応の覚悟がいります。

価値観も娯楽も多様化、細分化されたこのご時世においては何か他の仕事をしたり、教室の運営をしたり、家族の協力をもらったりしながら演奏の活動をしている方が殆どだと思います。 全国の民謡の大会の優勝者の方々も本業でやっている人は少なく、本当に唄うのが好きだからやっているという方が大半です。

特に、北海道や東北地方は一般の方でもプロ顔負けの唄い手さんがものすごい数見えます。
趣味で唄っているとその方達に言われたら民謡の先生は立場がありません。 津軽三味線の世界も同じで、仕事としてやっていない人でも名人級の方は大勢みえます。 有能な若手でもソリストとしてやっていくには厳しい時代で他の職に就いて空いた日に演奏活動をするスタイルの方も大勢います。

私の師匠、山田千里先生は私の修業時代はとにかく物を言わぬという意味で厳しいお方でした。
何一つ三味線の事で教わった事などありませんが私が卒業させて頂いてからというもの、度々舞台にお声をかけて下さいましたが、その際いつの時でも私ごときに敬語で話して下さり、こんなに頂戴していいのかという位の報酬を包んで下さり、ただただ恐縮したのを覚えています。

師匠からギャラをいただく日が来るとは思ってもいませんでしたので、認めて頂いたのだと実感したと同時に師匠に対して畏敬の念を抱いたものです。 改めてプロになったんだと勝手ながらに思った(思うようにした)次第です(笑)

先述しましたがプロアマの境界は極めて曖昧です。
覚悟を決めて四六時中音楽の事で頭が一杯でそれで生活出来ているのであればそれは年収が多かれ少なかれプロと言ってもいいでしょうし、結局は自分自身の覚悟と高い志、意識だと思います。

指導者も同じです。
人に物を教えているのに学びをしない人は指導を辞めるべきだと思いますし、自分の体の管理も出来ない人は人を管理する資格も無いと思います。

あるお酒の席で多くの有名なアイドルグループや歌手の振り付けをされている斯界の大御所の先生とご一緒させていただいた時に、

「我々の様な表現者が太っているようでは何を言っても説得力は無いよ。
過去の栄光やら実績を自分で話している時点で成長は止まっている事に気付いてないんだよ。」

と力説して下さった事がありました。

自分に直接言われた訳でもありませんでしたし、全ての表現者に当てはまるとは思えない言葉でしたが身体に電流が走ったような目の覚めた言葉でした。

以来どんなに忙しくても月に最低150㎞のランニングを課して20代の体重をキープしています。
歴史上の有名な指揮者ヘルベルト・ フォン ・カラヤンは
「演奏者だけが盛り上がって聴衆が冷めているのは三流。
聴衆も同じく興奮して二流。
演奏者が冷静で聴衆が興奮して一流。」

と名言を残しました。

自分の中のバイブルとなっている深い言葉です。
ストイックに謙虚に地道に歩んでいきたいものです。

津軽三味線を弾く、習うとはどういう事なのか?

津軽三味線は元来津軽民謡を伴奏する楽器という事からその名がつけられました。

 津軽民謡の中でも五大民謡と云われる歌い手によって節回りが異なる即興要素の強い曲に瞬時に合わせて伴奏をしなくてはならず(唄付けといいます)高度な曲の解釈と技術を要します。

 この唄付けが出来ない奏者は一人前とは言えず、昨今は唄のニーズも少ない事から唄付けを度外視して伴奏楽器として習うというよりは曲弾きとして技量を磨く若者が殆んどの状況です。

 独奏、合奏、唄付け、他の楽器とのコラボレーション等演出は様々なパフォーマンスが可能な津軽三味線ですが全国津々浦々の津軽三味線の教室の殆どの指導者は合奏曲に重きをおく傾向にあります。
 合奏曲も人と呼吸を合わせて弾くと楽しいですし合奏曲ならではの魅力もありますが、やはり究極はアドリブでの独奏でしょう。

津軽三味線は個人芸が何せモノを云う楽器です。

 合奏曲で満足してしまっている方は合奏曲の向こうに本当に楽しい津軽三味線の世界が広がっている事を知るべきですし、指導者もそこからが先が腕の見せ所となります。

津軽三味線は独自のスタイル、フレーズを編み出して披露できる所が何といっても魅力なのです。

先生によってはアドリブで独奏を弾けない方も実際には多く、その先生の先生から習った曲をそのまま伝承していく(しか術が無い)だけの方も散見します。

これが悪いと言っているわけでなく、決められた曲ばかりを弾いているうちは本当の意味で楽しめていないという事です。

与えらた物は失いやすく、自らの手で得た物は容易くは失いません。習う事も重要ですが個人で楽器と向かい合う時間と労力が必要となります。

自分で色々な方の演奏を夢中になって聴き何百、何千回と弾いているうちに色々なフレーズが降って沸いてくる様になればこんなに楽しい事はありません。

元来、民謡の伴奏曲というものは後付けで先人の方々が譜面に起こしたりしたものがラジオ、その昔は船、馬、人の足で伝播される事によって様々な演奏家によって改良されていったものが大半で作者不詳の物が多く、曲によっては◯◯節保存会のような団体によって保護されている物もありますが「こう弾かなくてはならない」という絶対がないのが一般的です。

ですから誰もが知る「ソーラン節」「花笠音頭」にしても然りで流派によって弾き方は様々です。
それをこれ見よがしと「あの会の、(または)あの人の弾いているソーラン節は邪道だ!」という先生や生徒さんがいたら残念ながらそれは勉強不足と云わざるを得ません。
なぜなら確実な正解というものが無いからです。

「あの弾き方もいいな」という他者に対する寛容性を持つ事が出来る人は確実に上のステップへ昇っていきます。

師匠や自分の価値観を頑なまでに信じすぎる事は良い事ばかりではないという事です。

 人の身体には個人差があり、自分の心拍数というものがあり、例えば指の皮の厚さ、腕の長さ、関節の柔軟性、可動域に至るまで同じ人はいません。それを無理にこうしろ、ああしろと言うのでなく、その人の長短を見極め、その人に本当に適した弾き方を模索しつつも様々な引き出しを持たせてあげられる様に導いていく事が肝要で、指導者と呼ばれる人は教えてやってるんだという上から目線でなく自分自身が慧眼を養う必要があります。

当会の心優しい女性の先生方
当会の心優しい?女性の先生方

 以上の観点から鑑みると楽器の性質上悲しいかな、津軽三味線の世界で云うところの「流派」等あまり大きな意味を持たない事が理解できると思います。

 会を代表する先生が「流」を付けた方が格好がつくという単純な理由で勝手に標榜しているだけに過ぎない事の方が多く、敷居が高そうだと勘違いされる方も多くみえますが、名前でかしこまる必要はありません。

 楽器もバチも全国共通ですし、曲の(特に合奏曲)フレーズ等の多少の差異がある位の事ですからあくまで個人芸を習得するために指導者の主宰する会に所属をし、その会の雰囲気や先生の指導方針等が自分の肌に合わなければ自分の居心地の良い教室を探すだけの話ですから難しい事ではありません。ならば独学の方が良いのかというとそれもかなり厳しい道程である事を覚悟しなくてはなりません。

 芸道やスポーツで度々使われる「守破離(しゅはり)」という言葉があります。あらゆる修業における理想的なプロセスを示したものですが「守」は簡単に云うところの師の教えを忠実に守り徹底的に叩き込む時期、「破」はそれを否定して良いものを取り入れて自分に合った型を作る時期、「離」は師から離れて自分なりの表現をする時期。

 どの分野でも第一線で活躍される方はこの段階を踏んでいる筈ですのでやはり良き師に出会う事は大事です。

 津軽三味線を始めたいと思った方には「流」と「派」という言葉に惑わされず勇気を持ってはじめの一歩を踏んでいただきたいものです。

 私もしばしば何流やら何派やらと質問される事がありますが十把一絡げに僭越ながら本格派と答えています。(笑)

津軽三味線の本場は青森、メッカは東京

春の岩木山

津軽三味線界の中心はどこであるかと言えばもちろん本場津軽だと言いたいところですが やはり現在の中心となるのは東京でしょう。

津軽民謡のみならず全国の民謡に精通していて芸の幅も広い指導者、演奏家が多く、楽器の特性を活かした様々なアプローチを試み、前衛的な活動をしている若手は東京に一極集中しており、本場よりも活気づいています。

中でも浅草の民謡酒場「追分」(令和元年5月より和ノ家 追分としてリニューアルオープン) は様々な流派の若手がこぞって集まり、日々切磋琢磨し芸の向上に励んでいます。

他流派の演奏家同士の交流などタブー視されがちなこの業界の中でこれは正に革命と言えるでしょう。
女将さんの懐の深さ、器の大きさに敬意を表する次第です。
今後もこのような取り組みは増えていくべきですし、増やしていかねばなりません。

若者には若いうちにしかできないことも沢山ありますし、その中で年を重ねながらどこかで民謡の素晴らしさを発見、再認識し新しい境地を開拓して頂けたら嬉しい限りです。

 

これからの津軽三味線という業界

ひと昔前までは業界の中で若手が台頭していくには、

1)民謡ブームを席巻された大御所の先生に弟子入りし、顔を売る。
2)   有名な歌手の全国巡業に伴奏者として参加する。
3)   誰かしらの先生に習いながら、またはフリーな立場な人達が毎年全国で何カ所もある民謡や三味線の大会で顔を売る。

このような方法がありましたが、1) と 2) については時代的に終焉を迎えつつあると云わざるを得ません。

今後は 3) がよりボリュームゾーンとなっていくでしょうがあまりにも増えすぎた大会そのものの認知度、権威も依然として乏しく、自分の顔を売る、発表、交流目的で出場される方が多いようです。

    以前、ある新聞社のお偉いさんから
「三味線の大会はその辺のカラオケ大会みたいに沢山あるんだねぇ。」
と言われた事があります。
他意は無いと思いますがその程度に思われている事が悔しくもあり、また現実です。

民謡ブームで一時代を築かれた先生方も悲しいかな、相次いでこの世を去っていかれています。

本物がいなくなるということは本物の意見が聞けなくなるということなのです。

今後は企業戦士であった団塊世代のリタイヤ、耳の肥えた民謡・津軽三味線ブームを支えてきた世代が老齢期を迎えることもあり、本物を聴けることも本物を知ることも減少していく傾向にあります。

激動の民謡ブームを生きられた先人の教えを伝承していく使命を背負った指導者の立場にとってみればあまりいいニュースではありません。

かたや、津軽三味線と並んで日本を代表する楽器の一つ、和太鼓の世界はどうでしょう。今や全国に1万5000を超える団体があり、愛好家だけでも100万人を遥かに超えるそうです。

津軽三味線と民謡の団体はどうでしょうか。

    各都道府県に多く見積もって40団体としてもおそらくは200を切るのではと推測します。

   津軽三味線界もたびたびブームと言われたり、コミック漫画やCMのBGMなどでも多く取り上げられたりするものの、三味線人口がどれだけ増えたかと言えば定かではありませんが、和太鼓に取るに足らない現状です。

    和楽器の小売り業者や会自体が廃業されるのも散見します。

    どんな方でも形から入る事のできる、すぐに音が出せる太鼓よりは使い勝手の悪い楽器ですが太鼓に負けじと三味線もまだまだ広がる可能性を秘めた楽器です。

    始めてみたいという人は本当にすぐ近くにいます。

私の目から見ても地道な草の根活動が何とか開花しだして裾野も広がりつつある事を実感しています。

    多種多様の娯楽の蔓延する中でも確実に着実に若い人達の中にも溶け込んでいっている現実を目の当たりにしていますし悪いニュースばかりでもありません。

    若手女性ソリストで歌いながらのパフォーマンスで新境地を開拓し、根強い若い世代のファン層を確立させている方も出てきました。

ジャズ、フュージョンのジャンルで自在に三味線でコードを操り、それでいて古典を演奏しても申し分の無いセンセーショナルな活動をしている若手にも一目を置いています。

若い世代の奏者に刺激をいただきつつ後進の育成にも力を注ぎながら、将来ある若手が気持ちよくパフォーマンスを出来る場を模索、提供し、まだまだ自分自身も精進していきたいと思います。

未来に向けて

もう少し手軽に始められる環境であったり、簡単に音が出たりするのであればきっかけはどうであれ愛好家は増えていくのでしょうが、やはり業界特有の敷居の高さというものがイメージとして存在しているようです。

    度々小中学校に演奏で呼ばれていくことがありますが、今の子供達は津軽三味線を知らないというよりは三味線に種類がある事、ジャンルがある事を知りません。大人でも知らない方がいる程なので仕方の無い事ですが、今をときめく「和楽器バンド」の影響で確実に三味線の認知は上がっており、私共の会に習いにみえる幼児、小学生の殆どは皆「和楽器バンド」の影響です。
そして悲しいかな、彼らの皆が津軽三味線の奏者は誰も知りません。勿論私を含めて(笑)

    メディアの影響等で楽器そのものの認知度が高いのではないのかとたかをくくっておりましたが、いかんせん、まだまだマニアの温床、コアな業界であるという現実があります。

「和楽器バンド」が武道館完売になっても年間で全国10箇所以上で開かれる津軽三味線全国大会は多くの会場で閑古鳥が鳴いている現実があります。

しかしながら絶対人口が増えれば必ず天才が出現します。

津軽三味線はその歴史を辿っても今なお進化を続けている数少ない楽器です。

   元々は民謡の伴奏楽器に過ぎなかった楽器が短い歴史の中でここまで変貌を遂げたのですから、魅力のある楽器であることに変わりはありません。
一昔前に比べれば津軽三味線を習える教室は本当に多く増えました。

 弾き手と聞き手は高齢化に伴い全国的に減少傾向にありますが、若者の台頭により急激な減少はないことが予想されます。

問題は生産年齢人口に既存の古典はもちろん、これからの我々の音楽を聴いてくれるファンを、いかに増やしていくかということが、今後の最重要課題と言えそうです。

茂木脩綱

投稿日:2019年5月18日 更新日:

執筆者:

もてぎ三絃道

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